『くりすます』で羽目を外す英傑達を横目で見ながら、私はぼんやりと手酌をしていた。
先程までは誰かが考案した遊戯に興じていたので今は少し休憩をしている。
こんな日に一人で酒を楽しむのも悪くない。
楽しそうな英傑達がよりよく見える。
輪の中にいては気づけない小さな気付きがいくつもあって飽きることがない。
まるで親にでもなった気分だ。
そこにひょんとコジロウがやってきて、だらだらと互いに酒を注ぎ合っていたのだが、
「私と、つ、付き合う、とかって……あり?」
「ああ。構わない」
お酒の勢いだった。ぽろっと零した本音。
「なーんて冗談」と軽く流す必要はなかった。
「どうした?」
「いや。……なんかもっとあると思ってた」
顔色一つ変えず二つ返事で受けてくれるなんて、想像もしていなかった。
主従関係故に拗れてしまうのではないか。
だから今まで言わなかったのに。
「流石に面倒がらないさ。昔とは変わったつもりだ」
「へえ……そうなんだ。ふうん……」
コジロウの”面倒臭い”の枠から外れたことが妙に嬉しくて、私は席を立ってまた皆の輪に戻った。
二人きりでいては溢れる何かを抱えきれそうになかった。
何食わぬ顔で英傑達と混じり、皆のものとは別種の笑顔を振りまいた。
飲んで騒いだ後は解散し、再び顔をあわせた風呂でも大声で笑い合う。
私は疲れ切った身体を引きずって自室に戻った。
最後の力を振り絞って蒲団を敷き、いざ寝るぞと言うところで、
「主」
障子の向こうからコジロウの声が聞こえた。
「何?」
今までとは違う関係になったことを意識して少し声が震えた。
「今、いいか」
早い。
心も身体も準備が出来ていない。
迷った挙句に「いいよ」と部屋に招いた。
「すまない。夜分に」
風呂に入っていないのか、服装が日中のままだった。
「良いけどどうしたの」
一方私は寝着の襟を直しながら、気になる部分をどう隠すかで頭がいっぱいだった。
布団の脇に正座したコジロウは声を絞り出した。
「その……。変な事を言うんだが……」
────きた。
少し頷いて先を促した。
「……どこへ行きたいと聞いてないが」
何を言っているのだろう。酔って誰かと勘違いをしているのかもしれない。
「私は明日も仕事よ。いつもと一緒」
「そうだったよな……。じゃあ討伐についていくとか?」
「行かないよ」
「ならば、要人が来るから護衛とか?」
「ないない。さっきからどうしたの」
外出の予定はないと最初から言っているのに。
私に外出してもらいたいのだろうか。
「だが今日付き合ってくれと言っただろう。俺に何をして欲しかったんだ?」
「……うん?」
……あー。
ようやく合点がいった。
なるほど。コジロウは勘違いをしている。
私が言った『付き合って』を、外出の供だと思っているらしい。
あれでもふざけて言ったつもりはなかったのだが、どうしてそんな思い違いを。
そもそも私は、彼にとってそういう対象ではないのだろうか。
小さく痛んだ胸から目を逸らすように、小さく笑った。
「ごめんごめん。言い忘れてた。じゃあちょっと目を瞑って」
コジロウは戸惑いながらも大人しく目を瞑った。
こんなことをしてくれるのは、信頼感の表れなのだろう。
でも今は気に入らない。
鈍感男に気づかせる為に、いっそ唇を奪ってしまおうか。
そっと自分の唇を指でなぞった。
これが目の前のこの人と触れ合う事を考えると顔が熱くなる。
私は試しに聞いた。
「コジロウ。本当に私と付き合ってくれるの?」
「主の命令なら付き合うさ」
素早い返事がまた複雑な気持ちになる。
「……添い寝して」
数秒の沈黙。
「…………いや、それはまずいだろ」
かっと目を見開き、血迷っているのかと言わんばかりに口早に言った。
「して」
「俺にか?」
「して」
「……はぁ。面倒くさいことを」
苦々しい顔で頭をかいた。
暫く様子を眺めているとこちらをちらっと見てまた大きな溜息を吐いた。
「俺はこの通り風呂もまだの身だ。主の布団は汚せない」
「良いよ。でもお風呂に入れず寝させるのは悪いから今からでも行ってきたら?」
コジロウは化物でも見るような目で私を見た。
「ここに朝までいさせるつもりか?」
「でも、主の命令なら付き合うんでしょ?」
コジロウは小さく息を吐いて、敷布団の脇でごろりと横になった。
「……少しだけだ」
不本意そうだがそれでも私の希望を聞いてくれたことは嬉しかった。
早速隣に寝そべって蒲団をかけた。
私からはコジロウの背中しか見えない。隣にいるのに。
呼吸の度に身体が揺れ動くので、私もそれに合わせて呼吸をした。
同じ生物になったような気がする。
肺活量の違いか呼吸が私とは合わないが、少し頑張れば合わせられる。
……いや、合わせられないな、これは。
コジロウの背中は呼吸を乱し、何度も溜息を吐いている。
何かをとても耐えているのだろう。
なにか、を。
「(暫く苦しませておこう)」
私に対してそう思ってくれるのは嬉しいけれど、もしかして私じゃなくてもこんな感じなのだろうか。
余計な事ばかり考えてしまう。
コジロウの悲観的思想がうつったのかもしれない。
「ねえコジロウ」
「話しかけないでくれ」
淡々と私を突き放した。
「ねえってば」
「聞こえないのか」
そうも嫌がられると、流石に胸が痛んだ。
私って、なんなの?
「例えばだけど、誰かが情けをかけて欲しいと頼んできたらどうする? 一晩だけでいいからって」
「そういう話を持ち掛けるな」
「答えてよ」
きつく指示すると、低い声で不本意そうに言う。
「そんなもの断るに決まってるだろう。面倒な。どうせ一度で終わらず厄介なことになる」
「じゃあ相手にははっきりとお断りするんだね」
「そうだ。もうこの話は終わ、」
「一晩だけ、私を独神扱いしないで」
お願いします、と付け加えた。
沈黙は長かった。
声が届いていないはずはない。
必ず、言ってくれる。厄介事が嫌いな人だから。
「…………無理だ」
「……そう」
じわりじわりと侵食する痛みを感じながら、コジロウがこちらを向かなくて助かったと思った。
あとは声さえ漏らさなければ、気づかれないだろう。
痕が出来ないよう袖で適宜拭った。
「兎に角俺には無理だ。他をあたってくれ」
コジロウは立ち上がってそう言った。
信じられない。今、他、と聞こえた。
「他をあたって良いの?」
「主が決める事だ」
そうしてコジロウは部屋を出て行った。
お陰で私はようやく無様に泣くことが出来た。
結局うまくいかなかった。
付き合って欲しいとまでは言えたのに。
何が悪かったんだろう。
コジロウは、私を嫌ってはいないようなのに。
信じてもらえない。
私は土俵にすら上がっていなかったのだろうか。
次の日、私はいつも通り”独神”だった。コジロウに対しても。
私情で仕事に穴をあけるほど愚かではない。
悪霊との戦いで悲しい事はいくつも体験してきた。
これもまた、その多数の悲しみの一つでしかない。
コジロウの討伐報告も多少の動揺はありつつも、今まで通りに接する事が出来た。
「ありがとう。討伐してくれて本当に助かったよ」
「なら良かった。またあれば言ってくれ。今日はまだ本殿にいる」
コジロウの返答も平常通り。
うん。何もかも元通りだ。
昨晩のあれは忘れてしまおう。
「長《おさ》どうしたの?」
私がいつも通りと思っていても、時々、私が普段と違う事に気づいて心配する者がいた。
「なんでもないよ。ちょっと昨日の疲れが取れてなくて」
「ぼくも長《おさ》といっぱい遊んだ! 嬉しかったけど、疲れたなら今日は早く休んで。長が元気ないと、ぼくも辛い」
マカミはそう言って私と顔が触れ合いそうなほど近づいた。
目を伏せる表情に少し緊張する。
「あ、あの、心配してくれてありがとね」
「当然! ぼく、長のこと大好きだから!」
後はみんなに任せてと言って、マカミは四つ足の獣に戻って廊下を軽やかに駆けていった。
多分このまま私が疲れている話が本殿中に広がって、皆が私を重病人のように扱いだすだろう。
やりすぎることが多くて戸惑うのだが、それだけ気にかけてもらっていると言う事だ。
先程、マカミが私を好きと言った。
深い意味はないのだろう。それでも、好きと言われて嬉しかった。
私は『好き』の二文字が恥ずかしくて、コジロウには言いたくなかった。言えなかった。
でも言われるとこんなに嬉しいのなら。
……言おう。
例え、伝えることに意味がないのだとしても。
私はコジロウが行きそうな所へと駆けると、部屋方向へ向かっている所を捕まえることが出来た。
「どうした。まだ斬って欲しいのか」
私の気も知らず、悪霊のことなんかを口にするのがおかしかった。
「私、コジロウのこと好きだよ」
残念ながらコジロウは黙りこくってしまった。
「それだけ」
悲しくないわけがない。でも言う事は出来たのだから満足だ。
何事もなかったかのように私は身を翻した。
しかし、右腕を掴まれ阻まれた。
「それだけということはないだろう」
私を非難してくるのですぐさま言い返した。
「信じてくれなかったくせに」
付き合って、で通じて欲しかった。
私の気持ちに泥をかけたのはコジロウの方だ。
非難されるいわれはない。
コジロウはまた黙ってしまった。
私は何も言わないまま目で詰っている。
「……悪かった。何を信じなかったのかは正直判らないが、主を悲しませたことは申し訳ないと思っている」
垂らした頭を見て、少し溜飲が下がった。
「紛らわしい言い方だから当然だよ。ごめん」
はっきり言えば勘違いされることはなかった。
ようやく私は、自分の非を認める事が出来た。最初から素直に言えば良かっただけ。
気持ちが晴れやかになってきた私とは裏腹に、コジロウは突如手で顔を覆った。
「んんっ⁉……もしや……昨晩のこと……あれは、そういうことだったのか……⁉」
コジロウの指す”そういうこと”を想像し、私は全力で首を振った。
「っ。い、いや、そこまではいかなくて良いけれど、近くにいて欲しいとは……」
全くもって健全な気持ちである。
コジロウはまた溜息をついた。
「てっきり揶揄われているとばかり……俺を試しているのかと。趣味が悪いとさえ思った」
そこまで思われるのは心外である。
「コジロウは自信がなさすぎるよ。だから全然信じてくれない」
「それについては悪かった」
元々の性格か、負かした剣豪とやらのせいか。
もっと胸を張れば良いのだ。
刀の腕は最高で討伐へ向かわせるにも安心感がある。
面倒くさがり屋な所は確かに面倒だが、頼めば意外とやってくれる人である。
周囲に興味がなさそうで観察していて、実のところ我の強い英傑達とぶつかる事が少ない。
……あと、私に対して……多分、優しい……思い込みかもしれないけれど。
「主。好きだ」
…………。
「こんなに簡単なことだったんだな。。俺が抱き続けた下賤な情が溶けていくようだ」
頷いた。
「主」
頷いた。
「大丈夫か?」
頷いた。
「ははっ。そんな反応をしてくれるなら、もう一度言おうか?」
頷いた。
「好きだ」「好きだよ」
(20211225)
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【あとがき】
面倒くさがりキャラ。
けれど親愛度を見ると自己評価の低さの方が目につくはず。
だからそこんとこのはなし。