「痛っ」
独神は小さく手を退いた。
はっと気づいて即座にキンタロウに謝罪した。
「ごめん。なんでもない」
平然としてキンタロウの手を握り直した。
「痛いのに何もないわけがないだろう」
身を乗り出したキンタロウが独神の顔を覗き込む。
答えを聞くまで梃子でも動きそうにない。
独神は折れた。
「引っ掻かれた気がして少しびっくりしただけ」
キンタロウはばっと自身の両手を見た。
皮膚は一般人よりも硬質化し、乾燥でひび割れささくれだっていた。
その指を己に滑らせると確かにカブトムシが通ったような感触がする。
普段意識もしない小さな痛みを独神は痛いと感じたのだ。
不思議に思ったキンタロウは、独神の手をとってまじまじと見た。
「何故主さんは卵のように滑らかなんだ」
「これ。毎日手入れしてるの。気付いた時に塗るだけなんだけど」
帯の中から出てきたものは手のひらに乗る小さな二枚貝であった。
開くと軟膏のようなものが現れた。ほのかに桜の匂いがする。
「もう春が恋しくて。香りに慰められているの」
そう言って指先ですくって手に塗り込んだ。
「あ。折角だから桜茶でも淹れようか」
立ち上がる独神を引き留めて、手を握った。
じっと観察していたかと思うと、ぱくりとその手を食べた。
独神は小さな悲鳴をあげた。
「美味そうな匂いだが偽物だ」
「だ、だって、香りだけだもの」
指先を甘噛みしていく。
「肉に振りかける謎の粉のようだな。振れば更に美味くなるのだろう?」
「香辛料ね。それはいいから手を離しなさい」
「主さんはそのまま食うのが好みだぞ」
「私、食べ物じゃないけど」
粗雑にも関わらず、口に含んだ独神の指を舌で丁寧に舐めた。唇で舐り、甘噛みする。
戯れにしてはいき過ぎていた。粘液の音は夜を思わせ、独神は身体が熱くなりかけていた。
「待って。駄目だって。人くる」
キンタロウは飴をしゃぶる童のように離さない。
力が強いので独神が本気で手を抜こうとしてもびくともしなかった。
「ちょっと聞いて。今は駄目。しないでって。嫌!」
余った片手が独神の足を撫でていて、血の気が引いた。
キンタロウもその気になりつつある。
非常にまずい状況であった。
「誰か!! 止めて!!」
呼びかけに馳せ参じた者によって独神は無事救出された。
「すまんすまん。つい夢中で食らってしまった」
キンタロウに反省の色はない。
余程気に入ったのか、いつもの愛撫に指舐めが追加された。
(2022/12/23)