くとし


  師走という最も忙しい時期に『くりすます』という祭りが毎年行われるようになって、師走は全力以上に走らなければならなくなった。
 本殿では担当を分け、事務仕事を行う者たち以外で討伐作業がない者が『くりすます』の準備設営運営を行うようになっている。
 独神の私は事務仕事担当の為毎日が忙しい。
 借金返済でもないのだから締め切りは緩いものが多いのだが、年始は仕事のない状態にしたいと思って自ら締め日を設定した。
 これが自身の首を絞めることになっているが、お陰で一年間メリハリのある生活が出来ているので悪くはない。
 そんな多忙な私の息抜きになってくれているのが、この『くりすます』だ。

「主。まさか今年も英傑らと騒ぎ立てるのかい? 好きだねぇ……」

『くりすます』の予定を聞いてきたのは討伐報告に執務室に訪れたフツヌシだ。

「そういうフツヌシは今年も一人で過ごすの? タケミカヅチにフラれて」
「おっしゃる通りだ。兄弟は貴殿と過ごしたいらしい」

『くりすます』が始まって数年が経ち、あり方も少しずつ変化を見せた。
 最初の頃は恋人がいる者が粛清されていたっけ。
 今は本殿の英傑達でアスガルズ風の料理を口にしながら、いつも通りの宴をする。
 その中で特定の誰かと過ごしたい者はそこからそっと姿を消す。

「私に限らず、皆で騒ぐ方が楽しいんでしょ。タケミカヅチは誰かさんと違って好かれてるし」
「果たしてそうかな。それは貴殿自身がそう思うから、そう見えているだけだろうよ」
「それを言うなら私たちのどちらも判るわけないでしょ。どっちも他人なんだから」
「ははっ。その通りだ」

 タケミカヅチの気持ちは勝手に決めつけるなというくせ、フツヌシだって私の気持ちを勝手に決めつけている。
 こういう小さな扱いの差が気に障る。
 私は別に、好きで皆と騒いでいるわけではない。
 そう望まれているから期待に応えているだけだ。
 一緒にいるのが嫌なわけではないが、静かに飲食だけすることにも憧れている。
 ────誰かと二人で抜け出す。
 そんなものに憧れる事だってあるのだ。

 ────『くりすます』当日。
 皆の騒ぎっぷりには癒される。輪に入らずとも質の良い満足感を得ることができる。
 そうやって観察していると、皆が私に声をかけて輪の中心へと引っ張ってくれる。
 これが楽しくないわけがない。
 今私が浮かべている笑顔は本物だ。
 なのになんだか少しだけ、寂しい。
 だがそれも飲み食いしながら騒いでいると心の隅へ追いやられていった。

 宴というのはあっという間に終わる。それだけ楽しく充実した時間だったのだ。
 酔っていない私は片付けには積極的に参加する。
 いいよいいよと言ってくれるが、いいからいいからと押し通す。
 楽しんだ分は片付けで礼を返したいという我儘だ。
 集めたごみをひとまとめにすると、裏手にあるごみ置き場へと持っていった。
 ごみ置き場には大量のごみが山になっていた。
 年末だからと大掃除も並行しているのだ。
 これが三十一日には綺麗になる。想像するだけで気持ちがいい。
 次のごみを取りに行こうとすると、竹やぶの方でフツヌシを見た。隣には覚えのない人物。
 誰を本殿内に連れてきたのだろう。
 今日は種族や地位に関係なくどんな者でも本殿に入れるようにはしているが、基本的には私が一度でも顔を見た者だけに限定している。
 悪霊が一般人に化けている危険性がないとは言えないからだ。
 ────まさか裏切る気だろうか。
 私は急いでその考えを否定する。
 今日は英傑達が交代で警備を担当しているのだ。
 本当に怪しい人物ならば、きっと英傑達が気づいて様子を窺っているはず。
 そう言い聞かせ、私は作業に戻った。
 もう大丈夫と言われるまで作業し、終わった後は真っ直ぐに部屋に戻った。
 部屋のど真ん中に小さな箱があった。
 なるほど、今日は『くりすます』だった。
 贈り物は宴の最中に大量に貰ったが、きっと渡し忘れていた者がいたに違いない。
 誰だろうと思いながら包装紙を破らないようにそっと開いていく、中から出てきたのは櫛だった。
 私はあまり喜ばしい気持ちにはなれなかった。
 櫛とは、くしと読む。
 苦しい時も共に、死ぬまで添い遂げる。
 そういう意味で贈ることがしばしある。結婚の申し込みに添えるものだ。
 それとも単に嫌がらせだろうか。
 死ぬまで苦しめ、と。
 差出人が書かれていないことに気味の悪さを感じる。
 私は机の上に櫛を乗せ、蒲団からは見えないようにして寝た。

 次の日。
 朝起きて、まず机の上を見た。まだ櫛は鎮座していた。
 溜息が出てしまう、朝なのに。

「主」

 私はもう一度溜息をつき、入室を促した。
 フツヌシだ。朝から見て気持ちいい顔ではない。

「おや、私の顔に何かついているのかな」
「……起きたばっかりなの」
「ああ、それはそれは」

 着替えなければと思うが億劫で立ち上がる気力がない。
 蒲団から出られずにいると、フツヌシが私の部屋を無許可で漁っていつもの服を用意してくれた。

「着替える際には一言貰えるかな」
「どうして」
「おや私の目の前で生着替えを披露してくれるのかね。私も最低限の礼儀はある。着替えの際には退室しよう」

 本当か嘘かは判らない。

「着替える気分でないなら、まずは髪でも整えて差し上げよう」

 そう言って、目についたであろう机の櫛を使おうとしたので制止した。

「やめて」
「……何か?」
「いや……その櫛なんだけど、昨晩ね」

 櫛のことを説明した。

「誰からのものか判らないから使わない。奥へ仕舞っておこうと思って」

 フツヌシは櫛を手に取りじろじろと観察した。

「櫛ねぇ。……主に苦しんでもらいたいのかな」
「そうかもね」
「浮かない顔だね」
「そりゃそうでしょ。不幸を祈られたら」

 それに、裏切りを疑った相手が朝一番にやって来たことも心に重く圧し掛かる。
 何を探りにきたのだろう。朝からどうでもいい事に頭を使わせないで欲しい。
 私はまた溜息を吐いた。

「主。少し良いかな」

 フツヌシがこちらに手を伸ばした。
 太い指の腹が髪を撫で、私は頭を振った。

「心配せずとも、貴殿が想像するような事はしないさ」
「気安く触らないでよ」
「はは、普段あれだけ英傑に触らせているのに? それとも私のような者は英傑失格かな」
「そうじゃないって……」

 緊張するだけだ。
 こんなやつでも、好きになってしまったので近づかれると身体が意識してしまう。
 普通でいられなくなる。

「綺麗な髪をしているね」
「そりゃどうも」
「お世辞ではないんだがね」

 フツヌシの言葉は大半が嘘である。本気にはしてはいけない。
 多少嬉しいと思ってしまうのが、裏切られるのが目に見えているので感情から目を背けるようにしている。

「この櫛だがどう思う? 物としては」

 何を探ろうとしているのか。
 私はひとまず素直に答えることにした。

「艶やかで綺麗な木目。歯の間も綺麗だし良い物なんじゃない?」

 素人目の感想である。勘違いされることが多いのだが、私は美術品に対する審美眼はない。
 ただ一血卍傑を出来るだけの凡人。
 それが八百万界全土で祀り上げられる私の正体。

「漆塗りが華やかだろうが、そのままの本つげの方が主には合うね」
「ふうん。そう」

 飾らない方が綺麗だね。
 と、英傑にも外のひとたちにも言われることが多い。
 褒めてくれているのだろうが、自分が単に地味なのだと穿ったように見てしまう。
 独神だから質素なものや華美でないものを好むに違いない。
 そうやって決めつけられているような気がして。
 本当は私、アシュラが買ってくる派手な着物やイズモオクニが舞台で身につける簪が好きだ。
 着る機会も、挿す機会もないからひとつも持っていないけれど。

「とは言え地味にならないように、しかし主張はし過ぎないようにしたのだよ。作らせるのも苦労した」
「なにそれ」

 聞き間違いだろうか。まるでフツヌシが贈ったような。

「さあ。なんだろうね」

 とぼけるフツヌシは櫛を手にして私に差し出した。

「受け取ってくれても良いし、捨ててくれても構わないよ」

 捨てても良いと逃げ道を用意していることが、いつもと違って本気に思えた。
 だとしたら、自分が作らせたのもあながち嘘ではないのかもしれない。
 へえ……。
 フツヌシ自ら口出しして作らせた櫛かあ……。

「趣味だからもらってあげる」

 余計な事を悟られないように自然に櫛を掴んだ。

「趣味ねえ。主はもっと派手なものが好みかと思っていたよ」

 いけしゃあしゃあと言い放った。
 なかなか櫛を離さない。

「おや。そんなにお気に召したのかね。なら贈った甲斐があったというものだ」

 含みのある笑みを浮かべるとようやく離した。
 にやけ顔には苛つくが手の中に収まった櫛を見ると私も自然と顔が綻んだ。

「……櫛ってどういう時に贈るか知ってる?」
「ああ、知っているとも」

 ならば、私が趣味でもないそれを敢えて受け取った意味が判るだろう。

「折角だから、髪に挿さったところを見せてもらえないかな」

 いいよ。と短く答え、普段使っている鏡台へ移動した。
 簡単に髪をまとめて櫛を挿す。

「似合っているよ」

 鏡に入って来たフツヌシが小さく頷きながら言った。

「……うん。そうだね」

 曲線を描くまとめ髪からちらりと見える櫛は、確かに自分にとてもよく似合っていた。
 鏡の中の私が嬉しそうにはにかんでいる。
 背後からフツヌシが近づいて、私と重なった。



(20211231)
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【あとがき】

 一癖ある者同士の恋愛。
 外部の者から見ると理解できないけれど、不思議なことに心が繋がっている。