「独神様のおかげです」
口々に言う民衆によって大地は覆い隠された。
空を割らんばかりの歓声が響く。
中心にいるのは私たち。
界帝を打ち取った者への賞賛に包まれている。
もう悪霊に震える日々は訪れない。
荒れ果てた大地には命が芽吹き、交じりあい次の世代が産まれる。
八百万界は再び生命に満ちた世界になるだろう。
だから私は宣言した。
「本日をもって本殿を封印し、集った英傑達を解放する」
しん、と静まり返った。
英傑達には事前に伝えていたが民衆に伝えるのはこれが初めてだ。
仲の良いものであろうと他言無用と言い含めていたが、英傑達はちゃんと守ってくれたようだ。
付近の者と目を合わせ、きょろきょろと不安そうにする民衆に伝えた。
「心配することはない。今までとは異なり、各地に英傑を散らせることによって小競り合いの鎮圧を迅速に行うことが出来る。
海の警戒が不足していた事を踏まえ、招かれざる来訪者にも今後はより目を光らせる。
例え手に余る事態に直面したとて、我々には数年生活を共にした事による種族を超えた繋がりがあり、即座に応援要請が可能だ。
手にした平和の維持には本殿解体は必要不可欠であると言えよう」
民衆は何か言いたげであったが、表向きは納得の形をとった。
「独神様は解体後はどうなされるのですか」
若者とおずおずとした、しかしながら勇気ある発言によって民衆はざわめいた。
英傑達が固唾を呑む中で私は言った。
「独神にはやるべき多くの儀式が残っている。それが終わらない事には何も言う事は出来ない」
「それでは表舞台に戻る意思があるかどうかだけでもお教え頂けないでしょうか」
英傑達がこぞって愉快な顔をしている。
気になってしょうがないらしい。
私はそこまでは言わなかったから。
「儀式は命を削る。先の事は私にも判らない。今は無事に儀式を成功させることが目下の目標である」
厳しい目を向ける英傑らに、私は心の中で謝罪した。
封印をするには島に英傑は一人たりとも残ってはならない。私の力と干渉してしまうからだ。
そう説明したにも関わらず皆なかなか出たがらないので、くじを引かせ順に船に乗って本島へと出航してもらった。
私は一人一人と会話し、別れを惜しんだ。
今日までずっと寝食を共にしていたのに、明日の朝には誰とも顔をあわせることなく、一人で生活していくのだ。
英傑の中には涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら私を抱きしめ「離れたくない」と慟哭した。
そういう時には私も目頭が熱くなり、うんうんと頷いた。
あらかた英傑を見送り、数人の神と封印の準備を始めた。
オノゴロジマは始まりの地だ。
イザナギとイザナミが夫婦となり、国を産んだことから全てが始まった。
私、独神誕生の地でもある。
ここは当初から神の色が濃く、封印には神の力を借りるのが一番効率が良い。
人や妖には、神族だけずるいと言われた。
最後の最後まで一緒にいたかったのにと言われると、私は静かに「ごめんね」という他なかった。
多少が時間が延びようとも、今日中に全員と平等にお別れだ。
儀式には御統珠を必要とした。
私の霊力を込め、各地へ配置する事で私の力が余すことなく行き届く。
担当分の配置が済み、私は切り立った崖の上でオノゴロジマを見下ろした。
数年間住んだ島は薄紅に染まりすっかり春めいていた。
呪われた島と言われた事もあった。
独神を産んだ厄災の島。
封印してしまえば、そういった者達も少しは安心できるだろう。
独神の痕跡は全て消してしまわなければならない。
今後は島に来る者も増え、中には独神の解析が目的の者もいるだろうが情報は渡さない。
独神を人為的に作成しようとする不届き者が出るなんてたまらない。
私は一人で良い。
「
振り返るとフクロクがいて私は”独神”に戻った。
「ありがとう。みんなもそろそろ終わる頃だろうから本殿に戻ろう」
フクロクは同意して私の隣を歩いた。
七福神には全員残ってもらい各地に御統珠を配置するとともにこの島に幸福が訪れるよう願ってもらった。
二度と本殿を利用する事がないように。
そして礎となった者達への追悼を込めて。
七福神たちは快く了承し、協力してくれている。
「この島も随分静かになったね。昼夜問わずうるさかったのに」
「ここが孤島で助かったよ。毎晩ドンチャンドンチャンと迷惑極まりない」
「ははっ。うるさくて眠れないって怒っていた時もあったね」
「今じゃ大いびきの横でも朝までぐっすりだ」
一人ずつ増えていった英傑も最終的には三百人をこえた。
考えや生活習慣の違いに苛立ったことも互いにあったが、なんとなく乗り越えて、自分たちの過ごしやすい環境を築き上げた。
「おれは悪霊のいない大地を再び見られるとは思わなかったよ。
主は必ず成し遂げると信じていたけれど、そこにおれはいないと思っていた。
……ありがとう。おれをここまで導いてくれて」
私は慌てて首を振った。
「みんなのお陰。私だけじゃない。英傑も民も全員が力を貸してくれたから成し得たことだ」
「謙遜なんて、おれにはいらないよ。主が誰より尽力したことは判っている。みんなも」
「私はハッパかけていただけに過ぎないよ」
「全く、おれの主は奥ゆかしくて困るな」
ははっと軽く笑うだけにしておいた。
私の存在は起爆剤でしかなく、実働は英傑やそれを支える民衆であって決して謙遜ではない。
「これだけの事を成したんだ。達成感も相当なものだろう。お疲れ様」
晴れやかな横顔でフクロクは私を労った。
「……ありがとう」
────達成感。
感じる事さえ憚られた言葉だ。
私は英傑たちを傷つけた。少々の傷ではない。
五感を失った者。
四肢が欠損した者。
意識が混濁し数日戻らなかった者。
命を失ってしまった者。
沢山の未来を奪ってきた。
戦の最前線にいた英傑に限らず、民衆までも。
家族を失い、故郷を失い、村を焼かれ、恋人が蹂躙され、多くの人を彼岸へ送った。
そんな犠牲の果ての平和である。
いくら大きなものを成した実感があろうとも、充足感を感じてはいけないと思っていた。
だから、不意打ち的にほっとした。
私の胸に沈んでいた感情を労わってくれて。
「ぼうっとしてどうしたの?」
「ううん。なんでもない」
独神の行動はどんなものであろうと批判の的になる。
これは避けられない事だ。
だからと言って腐心せず、余計な批判を産まないように聖人のように振る舞い続けた。
皆の為に。自分の為に。
やり方を間違えたこともあった。
後悔も多かった。
それでもいつも現実と向き合ってきた。
最善と思う事をした。
そして目的を達成した。
独神は私の理性そのものだ。
「……ああ言っていたけれど、本当のところはどうなんだ。今後は?」
私は理性で物事を考えなければならない。
己の行動でどんな影響を与えてどんな評価を受けるのかを常に意識して発言する。
「独神を辞めたい」
考えてもなかった言葉が口から滑り落ちて思わず口を覆った。
訂正をしなければと顔を窺ったが、フクロクに驚いた様子はなかった。
「そっか。じゃあ。やめよっか」
あっさりと言う。驚くのは私だった。
「これからは何も決めなくて良いよ。戦わなくて良い。今度は主の幸せを探しに行こう」
突然木々が揺れた。
音のする方へ顔を向けるとジュロウの姿が小さくなっていった。
「……私、行かないと」
さっきの話が他の者に伝わるのは非常に不都合だ。
冗談だと言わないと。
私が独神をやめるはずない、って。
「いや、話を続けよう」
強い口調で私の腕を掴んだ。
「独神を辞めた主は、おれと……そして出来ればジュロウともいて欲しいと思っているんだが、どう思う?」
「それ、あなたが大変なんじゃない?」
二人分の子守をするつもりだろうか。
いやそもそも私はまだ了承なんてしていないのに。
「ジュロウはそろそろおれなしでも良いだろう。けれどいきなり手を離す事はできない。
それになんだかんだで、頼られて嫌じゃないんだろうなおれは。たまには解放して欲しいが」
ジュロウとはそれほど仲を深めることが出来なかった。
私よりフクロクの事を信用していて、少し扱いづらい面もあった。
そんな者とやっていけるかというと、正直やっていける自信がある。
独神の経験は伊達ではない。
ただ、独神の看板を下ろした私が上手くやれるかは未知数だ。
いや違う違う。どうして私はこの誘いを受ける気になっているんだ。
そんな選択肢を受け入れる独神なんているはずがないじゃないか。
「おれは今からジュロウを追いかけるつもりだ」
フクロクは手を出した。
「主が掴んでくれ」
選べと。言うのだろう。
私は────
「……私の足は遅いからね」
何の確証もないままその手を取った。
「心配いらない。おれがどこまでも手をひくよ」
◇
「
「北の山。猿が自慢してたのよ。うちの柿は甘くて蕩けそうだって。
でもお前みたいなブスにはやんねーっていうから痛い目にあわせてやるべきでしょ」
「これが桃ならやる気も出たかもしれねえ……こともねえな。動物虐待は最近すげえ問題になるって言ったの主だぞ」
「ヘーキヘーキ。露見しなけりゃいいだけだから」
「アンタほんと悪知恵すげえよな」
ジュロウは呆れているが縁側から飛び降りていてすでに行く気満々である。
私のツレは天邪鬼なのだ。
「主。怪我のないようにね」
奥から手を拭きながら出てきたフクロクに私はぶっきらぼうに答えた。
「判ってるって」
「なんで。オレの心配はしねえのかよ」
「ジュロウもだ。当然だろう」
ちょーっとフクロクに心配されただけでにやける顔がムカついたので軽く足をかけたが、ひょいと避けられてしまった。
「お見通しなんだよ」
小馬鹿にする言い方が気に入らない。
ジュロウに背を向け、猿が根城にしている山へ向かって走っていくと、「置いていくなよ、馬鹿」と不安そうに一生懸命に追いかけてくる。
そう言われると余計に置いていきたくなるので、私は足を止めずに走り続けた。
私とフクロクとジュロウは本殿解体後、秘境の地に住んでいる。
ここは空間が少し歪んでいて大抵の者は入ってこれないんだとか。
七福神の内二名が共にいれば、そんな芸当もちょちょいのちょいでやってのけるそうだ。
神族って凄いねと言えば、「そんな英傑を一血卍傑で毎日
数年、私は誰とも会っていない。英傑とも。
あれだけ別れを惜しんでもらったのに、数年も離れると罪悪感も薄れていった。
どうせ、すぐに私なんて忘れる。
いないことに慣れていく。
だって私は誰にも深入りしてこなかった。
戦がなくなれば私をわざわざ選んで交流する必要もない。
実に面白みのない独神だった。
そんな考えが膨らんで、わざわざ英傑に顔を見せに行ってお礼を言って回らないと、なんて義務感から目を背けることも平気になった。
今はフクロクとジュロウと、動植物とだけの生活だ。
毎日が穏やかで、太陽に照らされて鳥の唄を聞くのが日課だ。
言葉を交わすのは基本的には二人だけ。
「お山の大将ってほんとムカつくよねー。小さなとこでふんぞり返ってさ、他のヤツにチヤホヤされてさ。
ちょっと凄いくらいで威張って情けないよねー。自分のことくらい自分でしろっつの」
「そうか? 主みたいなものだろ?」
「…………は?」
「ちょっと凄くて、チヤホヤされて、自分の世話も他人にしてもらって」
「…………それ本気で言ってる?」
「半分はな」
「はあ!? フクロクがいないとどこにも行けないボッチのくせによく言うよ!」
「主だってフクロクがいないと何もできないだろうが!」
勝負は引き分け。
不快なまま山道を歩いていく。
依然としてフクロクへの依存十割のジュロウと、この数年でフクロクに色々なものを握られている私の立場は互角。
フクロクが私たちの中心であり、要であり、争いの種だった。
「目標発見。ジュロウ隠れて」
猿の群れを見つけた。
その統率者は人語を巧みに操れるほどの高い霊力を持っている。
こいつは私が山の中で見つけた柿をもごうとした時に引っかいてきて、人間風情が立ち入ってくるなと威嚇してきた。
一つくらい良いじゃんと言えば、私の悪口をつらつらつらつら述べてくれたので、痛い目をみせてやらなければ気が済まない。
「この先に岩山があったでしょ。元脈素でガツンとやっちゃってよ」
「宝珠持ってきてねえよ」
「はい、華籠(陰)」
「っ。アンタどこにこんなの隠してたんだよ」
「女には隠し場所なんてごまんとあるの」
独神時代、出撃中の装備を管理することもあったので、収納や運搬には素人に毛が生えたくらいの技術はあるのだ。
偶に山で遭難するので、その為のお泊り道具一式だって持っている。
「装備をこんなどうでもいいことに使うの、アンタくらいだぞ」
「質に入れて賽を振ってるヤツよりはマシでしょ」
「あー、いたなあ。そんなヤツも……」
交流はなくとも、話題に出す事はある。
私の人生は英傑とともにあって、それ抜きの会話は難しいのだ。
「で。岩山丸々壊せばいいんだな」
五めーとるくらいの小さな岩石の山に向かってジュロウが力を込めると華籠から黒い光が走り、対象を破壊した。
粉砕してくれたお陰で小石がこちらに飛ぶことはなかった。
「はーはっはっ! ヤツがそこにお気に入りの木の実を貯めていることは既に把握済み!
次のおやつ時間にがっかりするのが目に浮かぶわ!」
「みみっちい……」
ジュロウは溜息をついた。
「宝珠まで用意してるなら、岩山浮かして猿目掛けて飛ばせば手っ取り早いだろ。
……オレならぎりぎりで当てないことだって出来る」
「駄目! そんなことして運悪く当たったらどうするの!」
「……ああ、そうだな」
鼻で笑うような素振りにイラっときたのでデコピンしておいた。
「いってえな!」
自業自得だ。私を試すようなこと言うのが悪い。
私は世間の目が届かぬこの地では、自由を貫いている。
例え不適切な行動であろうとも、私の心がやりたいというのならば従おうと。
英傑達の中には、詐欺や盗みや殺しをやっているものが少なからずいた。
私はそういう者にも分け隔てなく接していたが、心の中ではどうして悪い事をするのかよく判っていなかった。
悪い事は悪い。
自分の中に刷り込まれた一般的な倫理観を疑うことはなかった。
ここにきて、初めて自分の価値観に疑問を持ち、彼らの気持ちを今更ながら知ろうとした。
出来ることをやってみたが、どれも私には向いていなかった。
例えば、動物相手だろうと、傷つけるのは心苦しかった。
身体であろうと心であろうと、傷はつけないに越したことはない。
盗みは場合による。誰にも見つからず盗むことに大きな達成感があって、自称大泥棒たちが熱中するのもよくわかる。
その上弱い者のためという大義名分があるならば、きっと満足度も高いだろう。
だが盗まれた者の姿を見ると、気持ち良さが萎むのできっと私には向いていない。
……一度、興味本位で山中で放火したことがある。
枯れ木を燃やす事にハマってしまい、山奥に入ってまで死んだ木々を集めた。
木を燃やすには生木は駄目だ。水分を含んだものは火がついてくれない。
水分が抜けきった木を用意したとしてもそのままでは燃えない。
細い枯草、枯れ葉を燃やし、十分に火を大きく育ててから、木に火を移さなければならない。
こういう知識も、実際に燃やして経験を積んだからこそ得ることが出来た。
そして調子づいた私は、とうとう山を丸々燃やしかけた。
火が大きくなった瞬間、ぞくりと愉悦が身体を撫でたがそれは一瞬だけだった。
火炎の波が手当たり次第に木々を呑み込む光景に冷汗が蒸発し、後悔ばかりが大きくなった。
全く動けなかった私の代わりにジュロウが蒼煌で鎮火、事なきを得た。
その日は飛んで家に帰り、鹿と話していたフクロクの膝に顔を埋めて懺悔した。
恥も外聞もかき捨てて、大泣きでフクロクに縋った。
「あのまま焼いていたら沢山の子が死んでた。なんにもなくなるとこだった。なんでやったかわかんない。気づいたらやってた。ばかだ、私、ばかだ」
フクロクは私の髪を梳きながら言う。
「焼けた大地から新しい芽が出る。山を占めていた古木がなくなり世代交代をする。主はそれを助けただけだよ」
「だったら自然に任せればいい。私が手を出すことじゃない!!」
「いいや。同じ事だ。だってあんたも八百万界の一部だろう。太陽や海みたいなもんだ」
理屈に納得出来ても出来なくても、私の行為を常に否定しないフクロクの言い分を受け入れ、ついにはどうでもよくなっていく。
「でも、主が苦しいならもう山で火遊びをするのはやめた方がいいね」
私は頷いて、撫でられている感触に進んで呑み込まれる。
心を一度無にしたら、仕切り直しにまたどこかへ遊びに行った。
フクロクは私を決して叱らない。
手を洗わずにご飯を食べても、昼夜逆転生活も、山火事を起こした時も、動物を殺した時も、何も言わなかった。
ジュロウが「うわあ……」とか「馬鹿だなあ……」とか好き勝手言うのとは正反対だ。
でも二人は共通して、私にああしろこうしろとは言わなかったし、離れることもなかった。
偶に私が反省してごめんなさいと言えば、顔を見合わせて微笑む。
二人は似ている。そういうところ。
独神の枷が消え、自由を得た私は片っ端から自分の心を確かめたが、不思議なことにあまり独神時の私と差がなかった。
習慣として身体に染み付いているのかもしれない。
私がここで変わったことといえば、口調と起床時間と、フクロクとジュロウには遠慮なく言うくらいだ。
特にフクロクはなんでも言える相手でもあり、遠慮なく泣いて喚くことが出来る。
一時期、過去の戦の日々が蘇って飲食すらままならなかったが、フクロクは変わらず穏やかに私と接し続けた。
自分の軸がぶれている時、傍に不動の存在がいるというのは良かったように思う。
どんな悪夢から覚めても変わらないひとがそこにいて、「どうしたの」とただ一言聞いてくれるだけで、私は私を思い出した。
「アンタ、フクロクとその……どこまでいってんだ」
山菜と採っている時。
ふいにフクロクとの関係性について投げかけられ、ジュロウはとうとう桃に頭を支配されたのだろうかと思った。
「え、何……どしたの?」
「気を利かせてやろうにも全然判らねえだろ!
フクロクがオレを見てため息ついて……お、オレだって邪魔する気はないんだからな!」
邪魔、か……。
確かに最初は不安だったが、素になった私にしっかり振り回されてくれるジュロウは、今ではいてくれないと困る存在だ。
嫌だ嫌だと喚きながらも付き合ってくれるところは寧ろフクロクより面白みがある。
いじめ甲斐がある良い玩具だ。
ギャーギャー私に文句を言う割には、どこか見守ってくれているような気持ちになるので、多分私は甘えている。
フクロクとは違う形で。
「ジュロウ以外に誰が私の
「アンタはいっつもオレをおとりにして、ってそうじゃねえ! フクロクと二人がいい時とかあるんだろ?」
そうおずおずと言われると、正直困ってしまう。
私はジュロウを排除したくないのだ。今のままが一番良い。
フクロクは……何考えてるか知らないけれど。
「そういう気は回さなくていいよ。私とフクロクはそんなんじゃないから」
二人きりにしてくれなくていいと伝えただけで、ジュロウは絶句した。
その原因を考えている間に口を開いたかと思えば怒りを滲ませていた。
「……ならフクロクは利用しただけっていうのか。
あれだけアンタに尽くしてオレの手を離して……フクロクのことなにも思わないって言うのかよ!」
なにもってわけでは。と言う前に怒って何処かへ行ってしまった。
わけの判らないひとだ。
……実のところ、ジュロウの言いたい事は判っている。
そのうえで判らない振りをしているのだ。
私は戦の間常に内外の感情に目を向け立ち回ってきた。
あれだけあからさまに感情を見せつけられれば、当然何を考えているのかは嫌でも判る。
大方私たちに焦れてきたのだろう。
「はー。やれやれ」
そろそろ潮時か。
私は三人分には足りない山菜を持って家に戻った。
家ではフクロクが縁側で鹿と話していた。
「ジュロウは? また置いてきたのか。もう少し優しくしてやらないとスネて喋らなくなるよ」
「……ジュロウに帰ってきて欲しい?」
私の異変に気付いたのかフクロクは佇まいを正した。
鹿たちも静かに退散する。
「なにがあった」
あくまで優しく尋ねるだけ。
責める様子は見えない。
私が入り込むまで双子のように連れ添ってきた相手なのだからもっと私に詰め寄ってもいいのに。
どうしてだか、フクロクに焦りはない。信用……と思うのは自惚れだろうか。
いいや、違う。いつもの喧嘩の延長と思っているのだろう。
ごめんね、期待を裏切って。
「フクロクは私のことどう思ってる?」
面食らったような顔をして額を抑えた。
「……難しい質問だな」
「かもね」
私は冷たく言った。
「主はどうだったら嬉しいんだ?」
きた。
フクロクはまず、自分がどうあって欲しいか私に尋ねる。
都合の良いように変わってくれる。私が我慢しなくていいように。
だが今回ばかりはそれだと困る。
「フクロクが決めて。私は決めたくない」
ここで立ち振る舞いをしくじれば、ジュロウとフクロクとの関係性を壊してしまう。
そして、私との関係もまた変わってしまう。
そういう責任は負いたくなった。
「なら決めなくていいじゃないか。主の気が向いた時に決めよう」
「決めないとジュロウは帰ってこない」
フクロクは溜息をついた。
「あの馬鹿……」
私とジュロウのやり取りを察したようだ。
「おれは主が幸せであることが一番なんだ。ジュロウのことはおれがなんとかする。だから今のままでいいよ」
「でも」
「言ったろ。もう何も決めなくていい。戦わなくて良い。主の幸せを探していこうって」
私が黙るとフクロクもじっとしている。
フクロクは私が現状維持を望んでいることを察している。
この後はジュロウに話を聞いて、私の望みと反していればジュロウが折れるように説得するだろう。
あまり考えないようにしていたが、私とジュロウの調整役として何度も動いてきたに違いない。
私には一切負担をかけないように。
フクロクがずっと私を守ってくれていた。ジュロウには我慢させて。
それで、いいのだろうか。
私の全てを受け入れてくれている。
言い換えると、私に何も求めていないのだ。
「……外、行ってきてもいい?」
家の、と言う意味ではない。
空間の外。本来の八百万界のことだ。
「いっておいで」
フクロクは快く送り出してくれた。
私は久しぶりに外に出た。
秘境に住んでいると言ったが、空間さえ抜けてしまえばすぐに人里に着くようなところだ。
民は都会だけに住んでいるのではない。山でも谷でも海でも、大体どこにでもひとは生活しているものだ。
「おや旅のひとかな」
余所者への警戒心が薄いとくればしめたもの。
私は独神時代の経験を利用して懐に潜り込み、その晩は夕食を頂く事になった。
みんなが酒を飲み、私もいくらか盃を傾ける。
こうして口の滑りが良くなってきた頃を狙って、よく情報収集をしたものだ。
当時は下心を持って接することがとても嫌だった。
でもその経験が今役に立っているのだから判らないものだ。
「独神様のお陰で良くなった」
「偉い人なのに全く偉そうでなくてな」
「独神様も元気にしているといいが」
私が促したわけでは無いが、自然と独神の名が出てきて、それも褒めてもらえるとなると気分が良い。
「独神様がおられた本殿がなくなって数年経つが、やはり俺はあのままあった方が良かったな」
「どうしてですか?」
尋ねずにはいられなかった。
過去の私の判断が間違っていたのか、確かめたかった。
「あそこに行けば独神様がおられる。……会いに行こうと考えたことはないが、居住区が判っていることに安心感があったんだろうな」
「俺は今の方が良いな。もう悪霊はいないけど盗賊は出る。そういう時も相談すればすぐ英傑様が手を貸してくれるんだ。
前だったら少々のことは自分たちでなんとかするしかなかった」
なるほど。やはり一長一短か。
「オノゴロジマの本殿っていう神聖さが良かったんだよなー。スゲーひとはスゲーとこにいるもんだろ?」
「そもそも独神様っていたのか? いや、いるんだろうけど、顔も見たことないからな……。英傑様の方が身近だろ」
確かに確かに。
「独神様、どこにおられるんだろうな」
うーんと言って、皆は黙ってしまった。
俗世から離れていた私は今の民衆の心はよく判らない。
だが数年も音沙汰のない、顔も知らないような者のことを思い出してくれるというのは、少しくすぐったい。
私はまだ、ひとに思い出してもらえるような存在だったのか。
少し意外だった。
「英傑様の中には、独神様は身を固めたんじゃないかって言ってたな」
「げほっげほっ」
「大丈夫ですか?」
「気管に入っただけ。ごほっ。大丈夫です」
誰だそんな噂を流しているのは。
単なる世間話だったのだろうが、こういう勘違いはあまり褒められたものではない。
もしかして、私がいない間にとんでもない噂が流れてたりするんじゃないか……。
私がいないからって、好き勝手言っている可能性もなくはない。
「そういえば、あなたは一人で旅を? ご結婚は」
「してません。なんならお付き合いすらしていません」
間髪入れずに答えた。ここで答えても噂は払拭出来ないけれども。
「でもいいひとくらいはいるんじゃないかい?」
こういう話題になった途端に嬉々として話を迫ってくるひとはどこにでもいる。
あまり素気無くするのも悪いので、少しだけ話してみようと思う。
話したところで次会うことのない後腐れがないことも口を軽くさせた。
「めちゃくちゃ甘やかしてくれるひとがいます」
「駄目な振りしてる。そうすると構ってもらえるから」
「頼りっぱなしで、いつも私を肯定してくれて、気持ち良くて逃げられなかった」
「そろそろ自分の足で立たないといけないと漠然と考えてた。でも億劫だった」
「元の私に戻って自立したら、距離が出来るような気がして」
「でも駄目なままでいたって、そのひととは一定の距離があるんです」
「変わりたいのに、変わりたくない」
気付けば私は注がれた酒をほいほい呑んでべらべらと喋っていた。
いくらフクロクとジュロウが私を甘やかしてくれていても、相談にのってくれても、この事は言えなかった。
まさか本人たちに慰めてもらうわけにはいかないので、蒲団の中で一人思案することもあった。
ここで思っていることを撒き散らして、少しだけ気分が軽くなった。
「贅沢……」
呆れをたっぷりと含ませた言葉にズキッときた。
「相手はあんたのこと悪く思ってないのが判り切ってるのに悩む事ある?」
「いや、これって子供として見られてんじゃない? 相手は何? おじいさん?」
「そうじゃないです……。若くはないけど」
「じゃあ何がひっかかってるの
説明には省いたが、ジュロウもいるのだ。
ジュロウがいたところで、フクロクは私を優先してくれるかもしれないけれど、私が独神に戻れば手のかかるジュロウの方に重きを……って、ああ、今気づいた。
より駄目な方がフクロクに構ってもらえる。
駄目加減を私とジュロウで競っていて、今のところ私が勝っていた。
だから私は駄目なままでいなければならない。ジュロウに取られない為には。
私はそんなことも心の中で思っていたのか。
今、初めて知った。
「……悩むことないのかもしれません」
「でしょ! あーヤダヤダ。前しか見てないから視野が狭いのよ」
勝手に思い込んでしまったのは、三人でいたせいだ。
私だけが自由に意見を言い、二人が気を遣ってくれていたから。
何も見えなくなっていた。
意見を正されることがなかったし、気づかされることもなかった。
今回ジュロウが思い切って言ってくれて良かった。
それに加えて、このように知らないひとと話すのも功を奏した。
私の立場や事情を知らないからこそ、感じたままを聞かせてくれる。
歯に衣着せないので傷つく事も多少があるが、気付かせてもらえることは実はとてもありがたいことだ。
そうだ。
独神でいた頃だって悪いことばかりではなかった。
自分の決定で人々の運命が決まる事は責任感で潰れそうになったが、私の決定で喜ぶひともいるのだ。
立場上気を遣うことは多々ある。英傑にだって全てを晒す事は出来ない。
沢山無理をしたし、嘘もついた。
けれど、決して誰かを陥れる為だとか、傷つける為にしたことはない。
それによって少しでも英傑が穏やかに過ごせたのなら、それに越したことはない。
戦いが終わって、私は英傑を自分を苦しめる存在と若干思っていた。
でもそうでもないかもしれない。
変な噂が流れているというのは、まだ英傑が私を話題に出してくれているということ。
まだみんなの中には独神がいる。私がいる。
それを嬉しいと思う。
久しぶりに会いたいと思うほどに。
「ご馳走様でした。今日は色々とありがとうございました」
「またおいで。……いや暫くは来ない方がいいか」
「なんでですか?」
「ここいらで最近病が流行っていてね。大したことはないんだが」
こういう時の大したことないは、十中八九大したことあるのだ。
「ご忠告ありがとうございます。皆さんお身体にお気をつけて」
「そっちもな」
私は見送りには笑顔で手を振って、誰もいなくなったところで急いで空間の歪みに飛び込んだ。
家の引き戸を思い切り開けると、フクロクとジュロウが二人で居間にいた。
面食らっている。ジュロウは気づいたように立ち上がったが、私は「待って」と制止した。
「二人の力を貸して欲しい。頼む……!!」
私は勢いよく頭を下げた。
「流行り病を止めて欲しいんだ。七福神のふたりならなんとか出来るだろう。頼まれてくれ!」
自然と独神の口調に戻っていた。
二人の「判った判った」との声に、私は顔を上げた。
「ったく、仕方ねえな。七福神は便利屋じゃねえんだぞ」
「今すぐ行こうか。どこへいけばいい?」
先導して二人をさっきまでいた村へと連れて行った。
「さっきの……。なにかあったのか。それに後ろの二人は」
「病のこと詳しく教えて下さい。一番被害が大きい村や町、被害の範囲等を」
出発した旅人が戻って来て何を言い出すのかと驚いたことだろう。
だが私の頼みを親切にも聞いてくれた。
情報が入れば、あとは二人に任せればいい。
「主に従うのも久々だな」
「従わされっぱなしは気に食わねえけど、今は悪くない」
流行り病には種類があるが、気の流れの乱れから起こるものなら対処は簡単だ。
福を呼ぶ七福神が二人もいれば十分すぎる。
辺りの気を正してもらうとすぐに効果が出た。
村で寝ていた者達が元気を取り戻したらしく、家からわらわらと出てきて、辺りはひとで溢れた。
皆にはひたすらに感謝された。
「ありがとうございます!」
「凄い方をお連れなさって。まるで独神様のようだ」
ジュロウがあからさまに肩を揺らした。
「い! いや、コイツは」
「当然です。だって私、独神ですから」
ふたりはギョッとしていたが私の言葉は冗談として処理された。
人々の感謝が止まらず、私たちはぐったりしながら輪から抜け出し、家に戻った。
特に私とジュロウは今に大の字になった。
「しんどかった……。こういう時いつ退散していいのか、しょーじきよく判んないんだよねえ」
「あー……忘れてた。こういうの……疲れた……」
「お疲れ様。ふたりとも」
フクロクは一人元気そうだった。
「……アンタ、あれで良かったのか。折角隠れてたのに」
首だけ動かしてジュロウを見ると、真剣な顔をしていた。
さっきもすぐに誤魔化そうと動いてくれていた。
だから私は隠さずに言う。
「うん。隠れるのはもうやめる」
起き上がって、フクロクに向かった。
「言ったよね。決めなくていいって。でもね、そろそろ決めたくなった。誰かの為に私は自分を使いたい」
「……それがあんたの幸せなら、おれは賛成だよ」
「あと……ついてきてくれるよね? わ、私、……フクロクがいないとごはんも食べられないからね」
「勿論だ。いつも通りおれを頼ってくれ」
「……ジュロウ」
逃げ出そうとしていたジュロウの服を掴んだ。
「放せよ! オレのことはほっといてくれ!」
「一緒にきてよ。今までも私のわがままについてきてくれたじゃん」
「いやだね。主はフクロクつれてりゃ十分だろ」
「頼むよ、ジュロウ」
同情で連れていくのではない。
私はフクロクさえいればいいとは思っていない。
ずっと馬鹿騒ぎに付き合ってくれたジュロウも楽しい生活には必要な存在だ。
「……ったく。しょうがねえな。今回だけだぞ」
「ありがと」
何度目だっけ、それ。
でも今日は、いつもよりもずっと嬉しそうだ。
ジュロウには、フクロクと少し二人にして欲しいと言った。
ジュロウは判ったと言って、この空間から出ていった。
きっとすぐには帰ってこない。
私はフクロクに言った。
「フクロク、私は伝えたよ。だからそろそろ教えてよ。本音ではどう思ってるの?」
「……まさか、ジュロウとここまで気が合うとは思わなかった」
「そう? フクロクのことが好きなんだから似ていておかしくないでしょ」
自然と「好き」と差し込んだのだが、照れてはくれなかったし、驚いてもくれなかった。
「おれは主にとって何番目だ」
「……」
そんな顔、するんだ。
苦しそうで私を憎んでいるようにも見える。
「……あの日、私が誰の手をとったか覚えてる?」
もう一度手を取った。
「同じ道を歩いてくれますか?」
返事はない。
私は昔話を始めた。
「…………。あの日、私は独神として八百万界を守り続けるつもりだった。
だってそれが私の生きる意味だから。
独神として産まれたならばやって当たり前のこと。
でもね、フクロクがあの時達成感があるって話をして、私の中にそういう気持ちがあることを知らされたの」
「そんな話、おれしたかな」
困ったように笑う。本当に忘れているのかもしれない。
なんてことないただの雑談だったから。
「あの時フクロクが言い当てたから、独神を辞めたがっている自分に気づけたの」
芋づる式に知らない気持ちが出てきてしまってあの時は戸惑った。
「私は独神だけど、独神の役割で自分を見失う。だから、私を消さない為に、フクロクは傍にずっといて欲しい。
私の手綱を握っててほしいんだ」
いつも優しい大きな手を撫でた。
「……こ、こうやって支えてもらうっていうのはつまり、その、そういう事じゃないかって思うのだけど、ち、違うかな……?」
顔色を窺うとあまり喜んでいるようには見えなかった。
私が一人が盛り上がっているだけなのかと、どきりとする。
「おれにだって、主の事が全部判るわけじゃない。こうだったらいいな、と期待しているだけかもしれない」
「でも、少なくとも、私は、フクロクが言いあてる”私”がしっくりくるし、フクロクなら全部合ってるって信じていたりするんだけど」
私は、フクロクの思う私が私でいいと思う。
「おれが考えるに、主は」
私は。
「おれを必要としてくれている」
「うん」
「好きでいてくれる」
「うん」
「ジュロウよりおれ、と思ってくれている。……と嬉しいんだが」
「うん。そうだよ」
即答を重ねると、フクロクは溜息と共に肩をふにゃりと落とした。
「まさか自分がこんなことがいつまでも気になるとは思わなかった。ジュロウを引き入れたのが自分な手前情けなくて」
久しぶりに見た。こんな姿。
私が何を言っても赤べこのように頷いてばかりいて、私が何をしても驚かなかった。
フクロクが私の感情を見せてくれているのと同時に、フクロクの感情は見えなくなっていた。
今はとてもよく見える。
「主がおれを頼りにしてくれるのは嬉しかったんだ。本殿の時とは違って独占できていた。
……でもあんなにジュロウと仲良くなるなんて想像してなかったよ。
主は毎日楽しそうで余計に不安だった。俺だけを頼ってほしいなんて、欲深い事を考えていた。
主がいてくれるだけで十分と思っていたのになあ」
「気にすることはない。それだけ私を想ってくれていたことは判っているよ」
「ははっ。その演技がかった口調も久しぶりだね」
「これも私には違いない。だろう?」
「めそめそ泣いてる主も可愛くて好きだけれどね」
「ほっといてくれ。そんな私を見るのはひとりで十分だ」
「独神の威厳はちゃんと守ってあげるよ。心配いらない」
口調なんてお遊びだ。
フクロクはそんなものに惑わされず、私を見つけてくれる。
「あの……ジュロウが外行っちゃったんだよね。……多分帰るまで時間、そこそこあると思うんだ」
「……急に大胆になったね」
照れているフクロクなんてここでは見たことがない。
面白い。もっと見たい。
「少し、近づいても良い?」
「待った!」
大きな声で言うので、私は素早く身を引いた。
しまったとばかりにフクロクが慌てて言い繕った。
「いや、その、嫌ではないんだ。ただ心の準備というか。おれもどこまでやっていいか混乱してて、えっと、っあ、主!?」
「時間勿体ないなーって」
大した理由でないなら私が近づいても良いだろう。
だがフクロクは首を振る。
「主。おれは主のことは大事にしたいんだ。だから……後日でも良いかな」
「え! ヤダ!」
と、まず本音を伝えて、
「でも、フクロクの言いたい事も判るから。いいよ。また今度で」
私はフクロクとどうこうできなくても良いのだ。
こうして共にいられるだけで、私はもう十分与えてもらっている。
「……」
変だ。どうしてフクロクは私に迫ってきているのだろう。
今度は少し怖くて身を引いた。
「急に大人っぽくなられると、おれだって戸惑うよ。
手を出してはいけない、自分を押し付けてはいけなかった相手に、突然なんでも許されるのは」
「前だって。フクロクが望むなら私は受け入れてたよ」
「そうじゃないよ。おれはあんたに望まれたかった」
目が見られなくなるほど、私は意識していた。私を欲しがる強い執着に私は嬉しさでいっぱいになっていた。
「やっぱり、今、いいかな」
伏せた瞳を覗き込んでくる。
私はそっと近づいて、相手も近づいて。
背中に添う腕に抱き寄せられて、私も彼を抱き寄せた。
「こんな邪な気持ちで主を抱きしめるのは初めてだよ」
「私も。そういうつもりで抱かれるのは初めて」
指がぴくりと動いた。背中をゆっくりと指の腹が泳いで喘ぎそうになる。
「まだ背中を触っただけだけれど、主はもうそうなの?」
脇腹をつーっと撫でられるとくすぐったくて声を出さないように強く抱きしめた。
今まで散々撫でられてきたが、欲を孕んだ途端に指から伝わる温度が熱くなった。
ただ優しいだけだと思っていたフクロクがいやらしげな手つきで撫でるなんて別人のようだ。
私だって戸惑ってしまう。
「あっ。待って」
「後じゃ嫌だって言ったのはあんただろう?」
フクロクは私を逃がしてくれない。
こんなひとだったっけ。
「大丈夫。おれが言うようにして」
私は頷いた。指に言われるように私は身体を捩って、
「主! フクロク! さっきのまだ解決してねえぞ。って……」
引き戸に手をかけたまま真っ赤になっていくジュロウに見られながら、私たちはそそくさと離れた。
「……ジュロウ。せめてもう少し前……いっそ一晩は放っておいて欲しかったよ」
額を抑えながら、フクロクは再び大きな溜息をついた。
「さっきの村まで戻ろうか。今度は念入りに調査しないと。周辺の村にも聞きこんで原因を突き止める必要があるな」
村の様子を思い出し、どこに見落としがあったのかと考えていると、フクロクもジュロウも不思議そうに、変人をみるように見ていた。
「どうした。未解決だったんだろう? 人為的なものならばすぐに動かなければ対策されてしまうよ。今夜が勝負だ」
「……そういや、主はあの戦時下でずっと大将やってたんだよな」
「そうだった。おれの主は優秀で……切り替えも早い」
色々諦めたようだ。
「ぼさっとしていないで行くよ」
力のない返事が二つ聞こえてきた。
「主って」と二人がこそこそと陰口を言っているような気もするが気にしていられない。
独神だから切り替えが早いわけない。
必死に抑えて、頭の隅に追いやっているだけだ。
続きは後日になるだろう。
結局フクロクが言った通りになってしまった。
延期した分、次は私がフクロクを翻弄してやりたい。
(20220225)
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【あとがき】
初めてのフクロクジュロウペア。
くっついた後、今度はジュロウが調整役となって動くでしょう。
独神が変わっていくように、ジュロウも変わっていました。
今までは自分の世話だけしてフクロクにくっ付いていればよかったけれど、
独神(元気ない)が現れたことで、自分が世話をする側に回りました。
そうすることでフクロクが今まで担っていたものを知ることになり、
自分もまた独神よりしっかりしなければと、背筋を伸ばしていました。
それが自立に繋がっていくだろう。とか思っていました。
「ジュロウ! フクロクと二人の時間作って! いい感じの時にいい感じの雰囲気作って!」
「無茶言うなよ」
「ジュロウだけが頼りなの!」(肩掴んでグラグラ)
「ああもう。判った。判ったからやめろ。……今回だけな」
「うん、今回だけね!」(一週間に一度くらいはこのやり取りしてる)