言いたかった


「主《あるじ》が好きだ。……鳩が豆を投げつけられたような顔をしているが、これは事実だ。諦めて俺の好意を認めろ」

 ハンゾウが八尋殿に突然現れたかと思えば、このようなことを言い出した。
 まるで演劇の一台詞のようであったが、ハットリハンゾウは役者ではない。
 独神は顔を真っ赤にしながらしばし停止し、ゆっくりと言葉を絞り出した。

「……性格、違くない?」
「忍に特定の性格はない」

 毅然とした態度に益々独神は混乱した。
 まずは息を吐いた。
 不測の事態であっても独神は常に冷静でいなければならない。
 普段の習慣が生かされた瞬間であった。
 短時間に思考するが、ハンゾウの奇行に思い当たる節はなく。

「ハンゾウ。ちょっと自主的に任務に行ってきて。内容は何でも良いから。率直に言うと一旦どっか行って欲しい」
「心得た」

 素早い動きは普段のハンゾウと瓜二つ。偽物ではなさそうだがアレがハンゾウだとは到底認められない。
 独神は庭先で英傑達を集め、そして尋ねた。

「ハンゾウに怪しい術、薬、曰くつき道具などなど、使った者挙手してー」

 場がざわつくばかりで手は一向に上がらない。まさか誰の悪戯でもなくあの有様か。

「何があったの?」

 暇そうな英傑達に正直に言えばどうなるか火を見るより明らかである。
 そしてなにより、冷静冷徹鉄仮面のハンゾウが独神強火担の仲間入りをしたなどと言えば、玩具にされ騒ぎが大きくなる。
 収集がつかなくなることを恐れて事実を伏せることにした。

「ハンゾウの調子が良くなくて……。皆の悪戯なのか外部によるものか知りたくて」
「身体がおかしいの?」
「そう」

 頭が。とは脳内だけで言う。

「呼び出してごめんね。あと皆に何かあったらいけないからハンゾウ見かけても距離置くようにしてね」
「はーい」

 口々に判ったと声が上がるが、当然一部ではニヤニヤした顔で返事をしている。
 これは少し警戒しておく必要があるだろう。本殿には数人、悪ふざけに限度がない者がいる。

「かいさーん」

 英傑達は散らばっていき、独神は八尋殿に戻った。
 座椅子に腰かけてぼんやりしていると、天井からぬっと黒い毛束が落ちてきた。

「この俺があいつらが持ち込んだ程度の道具や術に操られるわけないだろう。照れ隠しは自由だが効率が悪いことは覚えておけ」

 言うだけ言って、するっとふさふさの尻尾が天井へと戻った。天井板も元通りになっている。
 これで通常業務に戻れと言うのは独神でなくともなかなか難しいのではないだろうか。
 仕事が手につかないのならばいっそ、と筆を置いて考えてみる。
 
 ハンゾウは優秀な忍であり英傑だ。
 何度も窮地を救ってくれた。戦の采配も、自身の命も。
 呆れたうんざりと言いながら独神が恐怖した時、苦渋の選択を強いられた時に打破してくれた。
 恩人と言ってもいい存在だ。
 しかし英傑に囲まれた独神は多くの者達に心身を救われている。
 本殿においてハンゾウは特別ではない。数多の英傑の内の一人だ。

 好きか嫌いかの二元論ならば好きに該当する。
 しかし将来も見据えた恋愛となると容易くはいかない。
 例えばハンゾウと夫婦になることを想定すると、上手くいくとは思えなかった。
 互いに忙しくすれ違うのが目に見える。
 恋人ならどうだろう。
 二人でいても気を遣わないのは良いが、好みは合わない。同じものを見聞きして楽しめるか不安である。
 いくつも状況を変えて想像していたが、報告に来る英傑たちの相手をしているうち次第に思い浮かばなくなった。
 夜になって手が空くと、波のようにきっちりハンゾウのことが押し寄せてきた。
 最後まで散々な日である。
 それでも明日の為に寝ようと蒲団を敷いていると、大きな黒猫が我が物顔で入ってきた。

「珍しいね。ご主人様は良いの?」

 ナバリの単独行動は基本的にはない。
 緊急性が高いものかと身構えたが、じっと床に座ったままで、蒲団を敷き終わるとすっと入って行ったので独神も続いた。
 同じ枕で寝ると長毛が顔を引っ掻いてくすぐったかった。
 暗闇の中でじっとしていると、ハンゾウが目の前にいると錯覚させられた。
 おずおずと撫でてみると毛が指の間を滑って心地よかった。
 ハンゾウに触ったことはないがこんな感じなのだろうか。
 次に温もりの塊である身体に触れ、拒否されないを良いことに抱きしめてみた。
 骨と肉と皮を生々しく感じた。

「……ハンゾウ」

 隣にいたらこんな感じだろうか。
 身体の形、硬さ、感触、体温、匂い、そのどれも知らない。

「ハンゾウ」

 想像の中で嫌そうな顔が出てきたが悪くはない。
 今、ハンゾウがいて欲しいと不思議と思ったのだが、神出鬼没な忍は出てこない。
 何かあれば呼べと言われていたが、そう上手くはいかない。
 もう一度と思うと同時に、肉球で頬をぐいと押された。

「ごめんごめん。ナバリだよね」

 今度はナバリと理解した上で改めて抱きしめた。
 本物も独神が寝屋ですり寄ったら意外と応えてくれそうな気がした。
 言葉とは裏腹に細やかな気配りがいつも独神を安心させる。
 主だからと思っていたが、それだけではなかったらしい。
 情があって嬉しいと多少は思う。
 いや、大いにあるかも知れない。
 ハンゾウは心の内側に置くと、胸の鼓動が聞こえてくるようだ。
 わりと悪くない。
 なんとなくの結論を抱えて独神はすっと眠りに落ちた。
 起床するとナバリはいなかったが、猫なのであまり深くは考えず日常を送った。
 昨日とはうってかわり気分は落ち着いていた。
 ハンゾウが来るまでは。

「……ぉ……。お疲れ」

 普通っぽく装った独神を嘲るようにじろじろと見回した。こういうところは憎たらしい。

「昨日。ナバリが来てたよ。留守番させてたの?」
「二手に分かれただけに決まっているだろう。ナバリは下手な忍より戦力になる」

 昨晩のアレが何の意味があるのかは判らないが、主人に似て働き者である。

「……ハンゾウって死ぬまでそんな感じなの?」
「何の話だ」
「あ。聞き流しといて」

 聞くまでもなく忍以外の道はないだろう。

「ならば本題に入るが……」

 淡々とした報告は独神の耳には入らなかった。
 ハンゾウを眺めていると、昨日の奇行が思い起こされて困る。
 独神はハンゾウのことを、とっくのとうに感情を捨てた者だと思っていた。
 それが普通の生物のように他人に好意を持つなんて、それも独神にだなんて悪い冗談としか思えない。
 事務的に断るところだが、くせのある髪を一撫でしてみたくもあった。
 確実にハンゾウに興味を持ち始めている。
 
「聞いているのか」

 独神ははっと現実に戻った。

「ごめん……」

 ハンゾウは深く溜息をついた。

「どうやら独神様は部下の話を聞く事すら出来ないらしい」

 他の者を使うと言って去って行った。
 心をかき乱している原因に嫌味を言われるのは癪だったが、非はこちらにある。
 たった一度、思いもよらぬところから好意を受けて、日々を疎かにする自分は恋愛に向いていない。
 無理だ。
 無理なのだ。独神に。恋愛なんて。 
 断る方向へと気持ちが次第に傾いていった。

「そろそろ聞く気になったか」

 日が傾き、村では竈の煙が上がる頃、ハンゾウはもう一度顔を出した。

「どうぞ」

 独神は今度こそ真面目に耳を傾けた。

「今晩は大人しくしていろ。本殿周囲で悪霊数が多い。何があっても良いようにしておけ」

 すっと頭が冷えていった。余計な感情が消えて思考が冴えていく。

「判った。私どこにいたらいい?」
「セイメイの部屋で待機だ。話はつけてある」

 言われるままにアベノセイメイの自室へ向かった。
 警護護衛に関してハンゾウには全幅の信頼を置いている。

「こんばんは。主人。貴方の安眠を妨げたくはなかったのですが、ハンゾウさんが念には念を入れるとのことですのでご了承下さい」
「手間をかけてすみません」

 油断も慢心もないところがハンゾウの良い所だ。お陰で私は数年の戦の中こうして五体満足でいられている。

「いえいえ。私たちこそ申し訳御座いません。悪霊を退ける為の術を施しておいてこのざまです」

 こういうのは鼬ごっこだ。
 結界は絶対ではなく、いつ解呪されてもおかしくはない。相手も本気なのだから。
 しかし静かである。
 外では悪霊と戦っているとは思えない。きっと英傑達が武器を持って守ってくれているのだ。
 ハンゾウも。

「暇でしょう。占いはどうですか?」
「寝れなくならない?」
「なら今夜はうってつけですね」

 徹夜が決まっている独神をすぐに占ってくれた。

「ほうこれは……。主人は今、迷っていますね」
「それ誰にでも当てはまるでしょ」
「人間関係ですね」
「ひとの悩みは大抵がそれだよ」
「ハンゾウさんですね」
「……」

 どこまで見抜かれているのかは判らないが、嘘や隠し立ては無駄であろう。

「そうだけど。何か悪い?」
「いいえ。日課の占いでここ数日突如現れた星なので少し気になりまして」

 本殿の色沙汰には一切興味がなさそうなのに。

「この占いって未来が判るの? ……ハンゾウをどうしたらいいか、とか」
「そこまでは占っておりませんのでご安心を。主人の身辺だけに絞ったものですので」

 この様子だと勝手に覗き見る気はなかったのだろう。災いから独神を守るための占いで偶々見えてしまった、云わば事故。

「主人がお望みであれば未来まで見通しましょう。どうなさいますか」
「いやいいよ」
「巷では私財を投げうっても私の占いを求めるらしいですよ」
「だからこそ遠慮する。セイメイの占いに引っ張られそうだもん」
「星の導きとおっしゃって下さい」
「でもありがと。心配してくれて」

 セイメイがわざわざ他人に踏み込むことはない。
 悪戯にハンゾウの名を出して動揺を誘うような真似はしない。

「セイメイ。私、ちょっと考え事していい?」
「どうぞ。ごゆるりと」

 セイメイは静かになった。
 改めてハットリハンゾウについて考えてみる。
 彼は根っからの忍であるが、主である独神に好きだと口にするような人間味もある。
 独神がただの”ひと”ではないことをきちんと理解している。
 恩もある。尊敬もある。
 同じ部屋にいても気安く息を吸い、冗談も言えて、対等にやり取りが出来る。
 独神に危機に迫った時に身を投げ出せる忠実さも持ち合わせている。
 などと並べてみると、嫌なものは少なかった。
 ハンゾウとの未来に抵抗を感じない。
 独神は結論を出した。

 後日ハンゾウを空き部屋に呼び出した。
 命令と一言添えるだけで簡単にやってくる。

「何用だ」
「好きって言ってきた事だけど」

 ハンゾウが驚かないお陰で言いやすかった。

「いきなり言われたってさ……正直ついていけないわけ。これでも独神だしさ、安易に将来決められないの。判るでしょ」
「承知している」
「機を見てってことになると、かなり待たせるけど良いの? 外濠埋めて内部理解を得て儀式もこなして、ようやく伴侶だよ?」
「勘違いしていないか?」

 独神はハンゾウを見た。勘違いとは如何に。

「俺は主《あるじ》の心も主従以外の関係も求めていない。伴侶など、忍風情には過ぎたもの」

 淡々と述べられていく本心に独神は内心動揺した。確かに勘違いをしていた。
 好意を伝えるとは、相手を独占したい、未来を拘束したいとのことではないのか。
 だから独神はずっと、悩んでいたのだ。

「黙って主《あるじ》を想うだけでも不釣合いなのは重々承知している。それがまさか本人に開示することになろうとは。……俺も主《あるじ》の無鉄砲に影響されたのかもな」
「そ、それじゃあさ……私がハンゾウのこと好きじゃなくても良いってこと?」
「当然だ。忍は主を縛るものではない」

 残念だ。
 独神は今落胆していた。

「ここは清々するところだ。余計な重荷を背負わされずに済んで、何故主《あるじ》はそんな顔をする」

 ハンゾウが求めていないことを、独神は求め始めていた。
 本気で受け入れる気でいたのだ。

「……まあ主《あるじ》の勘違いにはすぐ気づいていたがな」
「なんで言わないの!」
「滑稽で言う気が失せた」
「ちょっと!」
「……実際は主《あるじ》が拒絶なく俺を受け入れていく様に現実味がなかったからだが」

 寂寥感を思わせる横顔に独神は不思議そうな顔を返した。

「貴様はいつになっても、忍とそれ以外の区別がつかんらしい」

 ふんわりと柔らかな笑みを浮かべた。
 その意味の全てを理解する事は出来ないが、それがハンゾウにとっては大きな意味があるとは理解できる。

「さて、主《あるじ》から待てとの命令だがそれは容易い。忍の得意分野だ。後は主《あるじ》が折を見て再びこの話を持ち掛けてこい。以後俺からはこの件については触れない。いいな?」

 独神が了承したことを確認したハンゾウはいますぐにもここを去ろうとした。

「待って」
「早速か」

 いつも通りの皮肉には臆したが、独神は気を強く持った。

「一つ、確かめたい。本当にハンゾウを受け入れられるのか。ここで駄目ならさっきの話は白紙で」
「なるほど。方法は」

 独神はハンゾウを上から下まで眺めて部位ごとに評価をつけた。
 その中で一番心が耐えきれそうな部位である手を、えいと握った。
 握った後からびくりとして百面相をするが、ハンゾウの顔は変わらない。

「この程度で震えずとも良いだろう」
「き、緊張するんだからしょうがないじゃん。……これなら、ベリアルと対峙する方がマシだよ」

 ハンゾウの手に意図的に触れたのは初めてであった。
 必要に駆られた時のみ双方触れることはあるが、その際に大きな動揺は認められなかった。
 今までとは明らかに違う。
 ハンゾウが一英傑ではなくなっていたことの証明である。

「主《あるじ》」

 ハンゾウは自然な動作で口付けた。
 いやらしさはなかったが、突然唇を奪われたことにすっとんきょんな声をあげた。

「はっ!?」
「主《あるじ》が悪い」

 あくまで独神に非があると主張した。
 主の立場である以上、配下の忍の勝手を責めることも出来るがする気は起きなかった。
 突然すぎて、後に残ったのが羞恥心だけなのが悔しかった。

「俺は期待して良いんだな」

 冷たいだけの目の奥には燃え盛る感情がちらついていた。
 独神は他人の人生を左右することを理解した上で頷いた。
 契約成立と言わんばかりにハンゾウの手はすっと引いた。
 ぽつんと立った一人と一人という状況はただただ気まずかった。

「……仕事の話がしたいか? それともこれからの話か?」

 淡々としているがハンゾウも気まずそうに見えた。

「もう一回。ハンゾウに触るのって……ありですか?」
「はぁ……好きにしろ」

 言葉通りなんでも受け入れるつもりのようで、力を抜いて立っていた。
 隙しかない絶好の機会であるが独神はなかなか動けない。
 気を遣ったのかハンゾウから差し出された手に手を伸ばすことが精々だった。
 震える手で指先を掴むとそこから動けなかった。
 一方のハンゾウは動揺のかけらも見せない。

「さっさと慣れろ。でないと俺の理性が保たれない」

 理性の塊がとんでもないことを言い出した。

「で、でも」
「情けない顔をするな。……全く。これはこれで予想外だ」

 ハンゾウは舌を打った。

「絶対にそんな反応を他の奴に見せるなよ。何か起きても助けてやるが、そもそも隙を見せるな。良いな」
「ハンゾウも……なんでもない」

 ハンゾウは他人に隙を見せる人間ではなかった。
 独神の要望で今だけ隙を見せているのである。

「あ。いつまでもごめんね」

 握ることも出来なかった手を戻すと、手首を掴まれた。
 独神以上に驚いた顔をしたハンゾウがいた。

「……いや。すまない」

 放した手首は若干赤くなっていた。傷をつける意図はなかったはずだ。
 無意識に身体が動いてしまったのだろう。忍にあるまじきことだった。
 再び気まずさに支配された。
 ハンゾウは先程のように助け舟を出してはくれなかった。
 次は独神の番だろう。

「……さっきの話だけど、そんなに待たせないかも」

 ハンゾウが僅かに目を見開いた。それを見て安心した。
 後戻りはできないが、自分の決断は間違いではないと自信が持てた。

「主《あるじ》。今晩少しだけ時間取れるか」

 口元がひくついた。

「主《あるじ》が想像したことは起きないから安心しろ」

 鼻で笑われることがいつも通りで肩の力が自然と抜けた。
 加えてこれ以上身体的関係が深まらないことに安堵した。

「素直に安心されるとそれはそれで癪だな」
「無茶言わないでよ」

 胸は高鳴り続けて騒がしかったが、穏やかな気持ちも同時にあった。
 定まった未来は期待に満ちていた。

「じゃ、戻ろっか。お互いに。また晩にね」
「そうだな」

 そう言ったハンゾウは素早く、しかしいつもよりはゆっくりと出て行った。





(2022/11/17)