いつも見守っている


「当日の警護は全て任せておけ。だが警戒は怠るな。自身の価値を理解しろ」
「了解」

 丁度執務室に来たハットリハンゾウに、今月下旬の『くりすます』の警護について尋ねたのだが、心配無用のようだ。
 『くりすます』とは元々はアスガルズの祭りで、親しい間柄で物を贈りあったり、食事をする行事だ。
 それがこの八百万界に取り入れられたのが数年前。
 最初は独り身の者が見境なしに他者を襲うという暴力的なものであったが、最近は仲の良い者同士で行う普通の祭りになっている。
 こんな起源だからか、極一部では、『くりすます』の夜、誰にも邪魔されずに二人で過ごせると永遠に結ばれると言う口伝えがあるそうだ。

「警備担当の英傑達は別日を休みにするから。ハンゾウも休んでもらうよ」
「休息は適宜取れている。主が改めて休息日を定める必要はない」
「主なんだから、働け以外の命令したって良いでしょ」

 休んでくれないと私が困るのだ。
 ここは譲れない。
 顔を見続けているとハンゾウが先に目を逸らした。

「はぁ。主がそこまで言うなら偶には休んでやる」

 渋々とでも了承してくれたのなら上々。

「ねえ。ハンゾウはどこか行きたい所とか、欲しいものってある?」
「ない」

 玉砕。

「こんなに毎日働いてるのにしたいことないの? 嘘でしょ? もっと休みたいとかは?」
「ない」

 玉砕。(二回目)

「じゃ、じゃあ例えば……だけど、私としたいことってある?」

 ……なんて。
 この調子だとどうせ無いのだろう。
 何故私がこうもしつこく聞いているのかというと、ハンゾウと『くりすます』の晩に二人きりで過ごしたいからだ。
 だが忍のハンゾウは当日多忙で仕事を抜けてもらう事は不可能。
 だから別日に行う。そしてその晩二人で過ごせば成就するに違いない。
 ……それは所謂普通の逢瀬ではないかと言うなかれ。
 自分が『くりすます』と強く信じた日こそが『くりすます』なのだ。

「……ないことはない」
「やっぱないか……」
「よく聞け。俺はあると言ったんだ」
「……え⁉ 嘘だぁ」
「何故聞いた……」

 意外や意外。
 だがこれで日頃お世話になっている礼をすることが出来る。

「なにしたい? なんでも付き合うよ! でも休みだから一人で過ごしたいとか、他の人も含めては駄目ね」

 先に可能性をせっせと潰しておく。
 しかし、あのハンゾウが何を望むのだろう。
 仕事第一で生活感がないので想像出来ない。

「少しの間で良い。主の隣を歩いて良いか」

 声色の真剣さが細やか過ぎる要望と相まって胸がきゅうと締まった。

「本殿の外なら……うん。いいよ」
「感謝する」

 ────もっと求めてくれて良いのに。
 前々から計画していたことなので、小金は溜めていたし、ツテは最大限利用する気でいた。
 美術品だろうが、土地だろうが、上流階級への口添えだろうが、無理して出来ることならどんなものも叶えるつもりだった。
 でもハンゾウはただの私を必要としてくれた。
 これがどんなに幸せなことか。この不愛想な忍は判っていないのだろうなあ。

「じゃあこの日でいい? あ、日付が変わるまでが休みだからね」
「少し長い気がするが、了解した」

 その日は当日より三日も前だったが、私の中ではその日が暦上の『くりすます』となった。
 その日までに全ての仕事を済ませ、その日は決して私を探さないでくれと根回しも済ませておく。
 勘の鋭い英傑たちには私の思惑は筒抜けだっただろうが、皆何も言わなかった。
 無関心を装ってくれているお陰で心おきなく”その日”を待ちわびる事が出来た。

「忍と歩かせて悪かったな」

 当日。
 人目を忍んで二人で外に出たら開口一番がこれである。
 こんな日にまで嫌な言い方をすることには怒りがじんわりと湧いてくる。

「迷惑なんて思ってないから」

 本殿外を指定したことを、忍と一緒にいる所を見られたくないから、とでも解釈したのだろうか。
 だとしたら的外れも良いとこである。

「今回の件は忍である俺が過ぎた願いを乞うたことこそ間違いだった」

『くりすます』の今日、後ろ向きなことを言うのは我慢ならない。
 私は語気を強めた。

「そうじゃなくて! 他のひとがいると好きって言えないじゃん!!」

 ……はっ! 余計なことまで言ってしまった。
 後悔したとて後の祭りだが、ハンゾウはというと表情一つ変えていない。

「なるほど。まあ確かに、こんな間抜けな所見られなくて良かったな」
「そうですね!」

 つっけんどんに言い返した後はお互いに黙ってしまった。
 最悪である。
 本人には知られないまま夜を過ごせれば良いと思っていたのに。
 バレてしまったのならば、今日はなかったことにしてまた次の計画を立てようか。
 横にいるハンゾウを見ると仮面をつけているかのように、普段と同じ。無表情だ。
 もっと呆れるとか、笑うとか、嫌がるとか、喜ぶとか、何でもいいから感情を見せてくれれば私も出方を決められるのに。
 忍のハンゾウは私から働きかけないと基本的には反応しない。
 この沈黙は私が打破するしかないだろう。私は意を決して呼びかけた。

「……ハンゾウ」
「なんだ」

 返事に普段と変わった様子はない。

「今日って忙しい?」
「いや」

 今気付いたが、今日に限って忙しいはずがない。私が休日と命令したのだから。
 なんだか、今日は上手くいかない。
 自信が失われていくにつれて唇が縫い付けられ、思うように開かない
 何か言わないと。
 でも言えばまた口を滑らせてしまうような気がする。
 沈黙が長くなる程気が重くなり、私はすっかり困り果ててしまった。

「主」

 俯いたままの私にハンゾウが呼びかけた。
 囁くように言う。

「俺は主の命令ならばどんなものでも従う」

 それでは違うのだ。
 言いなりになっては困る。

「……だが、例外はある」

 どういうこと。

「だから……つまり」

 つまり?

「俺はいつでも主の意向に沿いたいと言うことだ。忍としてではなく。私情で」

 心を見抜いたその言葉にそっと背中を押された。
 私はゆっくりと息を吸った。

「……今晩部屋に行ってもいい?」
「構わない。待っている」
「ん……」

 ハンゾウは何故か所用があると言って何処かへと消えて行った。
 休みと命令した身ではあるが、いなくなってくれて胸を撫で下ろした。
 これで仕切り直せる。
 夜までに気持ちを切り替えて本懐を遂げよう。
 ……いや、それとも、今回は失敗ということで普通に過ごすべきか。
 それも含めて、もう一度考えなければ。

 夜、とだけ伝えたことに大きな落とし穴があると気づいたのは夕方になってからだ。
 夜とは具体的にいつだろう。

 夕食前?
 夕食の後?
 お風呂の後?
 寝る前?

 具体的に指定すべきだったのにまたまたやってしまった。
 こんな日に大事な勝負をかけるものじゃない。

 今日は『くりすます』とは無関係のただのケの日。

 今日は『くりすます』とは無関係のただのケの日。

 今日は『くりすます』とは無関係のただのケの日。

 口の中で何度も何度も唱えた。
 夕食後にハンゾウと会うことを決めた私は、部屋の隅で食事をとり壁に張り付くように速やかにハンゾウの部屋を訪ねた。
 ハンゾウは自室なのに真ん中で突っ立っていた。いつから待っていたのだろう。
 夕食前に訪ねるべきだったかと反省しつつ、持ってきた物を渡した。

「これ。た、食べ物だから早めに食べて」
「有難く頂戴する」

 包装紙で厳重に包んだ箱をハンゾウは仰々しく受け取った。

「物だと迷惑かと思って……」

 中身は素甘だ。以前にもあげた。あれは年末だっただろうか。
 遠方に住む祖父母が好きな物を何年経っても毎回持たせるのに似ている。
 私はそれ以外にハンゾウの好みが判らない。
 もう何年も顔を合わせているのに。
 普段から調査はしているが「なんでもいい」「忍に気を払うな」といって教えてくれない。
 食事内容を制限しているのもあるので、無闇矢鱈にあげて反応を見ることも出来ない。
 物なんて渡せば邪魔になるだろう。
 数年使用しているはずの部屋はいつもがらんとしていて、真ん中に置かれた蒲団に使用感はない。
 他に荷物はなくいつ消えても痕跡が残らないように気を配っているのが見てとれる。

 忍とは本来歴史に残らない存在なのだ
 それが何の因果か視認してしまった。
 人を知ってしまった。
 中身を知ってしまった。
 影なんかじゃない。
 光に寄り添う影はよく目立っている。

「あのね」

 声が震えた。情けなくて頬が熱くなって、またそれを意識すると息が乱れた。
 今日は言わないと決めたはずだったのに。
 好きな人の部屋に好きな人といる感慨深さに呑まれてしまった。
 もう後に引けなくなってしまったのに、前に進めない。
 また午前中のような情けない姿を見せている。
 しかしハンゾウは待ってくれていた。
 揶揄しなかった。
 決意を奪わなかった。
 もう私が放つ言葉を察しているだろうに。
 代弁しなかった。
 だから自分で言わなければならない。
 何度も乱れた呼吸を繰り返していると、今日一度も見かけなかったナバリが襖から顔を出した。
 器用に襖を爪で閉めた後、私に飛びつき腕の中に収まった。
 にゃーと愛くるしい声で鳴いた。
 きゅっと抱きしめ、体毛に顎を埋めると私よりずっと早い心臓の響きが聞こえた。
 ────今なら言える。

「好きです」

 毛玉に顔を埋めるとすぐに猫の匂いが充満する。獣の香りが私を鎮めた。

「いつまで待たせる気かと思ったぞ」

 ハンゾウは呆れるかと思ったが、慈愛を笑みに滲ませていた。

「俺の心は元より主のもの。六傑としてではない。俺は主の道について行く。どこまでも」

 切長の目がきりりとしまっていて、私は上昇する熱を抑えられなかった。

「この程度で赤くなっていては、この後身が持たんぞ」

 何をするのかは判らないまま身体の方が先に引いた。
 それを小さく鼻で笑ってハンゾウが言う。

「案ずるな。主の歩みに合わせてやる」
「ありがとう……」

 どこまでも私を優先する忍に礼を言った。
 途端、頭に手を伸ばされた。
 瞬きをしていると直前で止まる。ハンゾウは尋ねた。

「忍の俺でも、許可なく触れる事は許されるか?」

 うん。と私は頷いた。
 すると止まっていた手が動き出し私を猫のように撫でた。
 さっと一撫でして、すっとやめてしまうのが名残惜しい。
 もっとして欲しいと言うのは気恥ずかしかった。

「判っていると思うが俺は忍だ。主の指示無しには動けないからな」

 鼻先で笑うという事は気づいているのだろう。
 ずるい。

「……もう少し、優しくして頂きたいんですけど」

 不平を伝えるとハンゾウは頷いた。

「仰せのままに」



(20211225)
 -------------------
【あとがき】

 決意を奪わない。が個人的に好きポイント。
 こんなに緊張しているなら言ってあげるのも良いと思うけれど、言えるまで待ってくれる人も素敵だと思う。