明るい暗雲


 人生とはどうなるか判らないものだ。
 月並みだがアカヒゲはそう思わずにはいられない。

「独神だって、誰かを好きと思うくらいは、許して……くれないかな」

 世界の希望に、大いなる好意を向けられた。
 一方的に恋をさせて欲しいと請われた。
 だか、そんなか細い願いをアカヒゲははっきりと断った。
 叶わぬ恋はやめろ。

「それは、他のひとを好きになって欲しいってこと?」

 違う。立場を今一度理解し、恋愛そのものを諦めるべきだ。
 独神の存在は英傑であっても重すぎる。たかが恋一つで界の情勢すらも大きな影響を与えるのだ。
 巡り巡って選ばれなかった勢力に独神を襲う口実も与えてしまう。
 であれば、すべきではない。

 本音では、普通の人のように自由に他人と仲を深めさせてやりたい。
 人々の日常を守る独神こそ人並みの生活をさせてやりたい。
 それを包み隠して、アカヒゲは独神の思慮の浅さを突いた。

「独神の影響力をもっと考えられるお方だと思っていたんだがな。見込み違いだったか」

 悪役になってでも、恋愛自体を諦めさせてやると決意した。
 それが独神の為だと。

「……アカヒゲは私を独神としても、一人のひととしても見てくれたのに、今日は随分意地悪なんだね」

 独神は目を伏せ、言葉を切った。
 話は変わるがアカヒゲは長らく恋愛には縁がなく、仕事一筋でやってきた。初恋だって大昔のこと。
 だから見誤ってしまった。

「ならその高評価してもらった私の影響力を存分に使ってアカヒゲに認めさせるね」

 初めて恋を知った独神は感情の止め方を知らなかった。
 理性を超えないように熱情を抑えるだとか、いっそ諦めるだとか、おおよそ大人がとるであろう行動を選ばない。
 幼い彼女は恥も外聞もなんのその、衝動のままに世間を無理やり黙らせ、見事アカヒゲを屈服させてみせた。

 ただの恋人になるまでに紆余曲折あったが、二人の相性は悪いものではなかった。
 そもそもアカヒゲは独神の人間性に感銘を受けて本殿にやってきており、尊敬の念を抱いていた相手に好意を向けられることは嫌ではなかった。
 恋人となり、互いの接し方が変化しても二人は喜んで受け入れた。
 まるで本来の形がそれだというように自然と、二人、になっていった。

 だからこそ、小さな疑問が生じた時、止まらなくなったのだろう。

「はあ……」

 アカヒゲは休憩中、空を仰いでため息をついた。
 独神は今朝、布団の中で見た以来見かけていないが好都合だった。

 隣で寝る独神は熟れたばかりのみずみずしい果物のような美しい身体をしていた。
 滑らかな肌は高級な絹のようでいつまでも触れていられた。
 対してアカヒゲは身体の内外に衰えが見え出した中年男性である。
 衣類を全て脱いで身体を合わせると、嫌でも違いが判る。
 張りのある肌が、弛んだ身体に押し付けられた時の圧力。
 欲を抜き差ししている最中、軽やかに跳ねる膨らみも肌の若さを物語る。
 アカヒゲはまともな感覚を持っていたため、その若さに触れる度に罪悪感に襲われた。

「浮かない顔だな。どれ。話なら聞いてやるぞ」

 現れたのはヌラリヒョンだった。いつもの湿布薬を取りにきたのだろう。
 普段必要以上に話すことがないせいか、つい言ってしまった。

「あんたは歳の差がある恋愛をどう思う」
「構わんが」

 ぼかしているせいか答えは軽い。

「幼子であってもある程度身体が出来ている相手なら問題あるまい。勿論上でも構わぬさ」
「そうは言うが……。人族では、男が一回りも二回りも年下の女を捕まえると揶揄されるもんなんだよ」
「なるほどな。だがその理論で言うと、老いるほどに相手が少なくなるのだろう。例えば儂だと同じ頃というと、タマモゴゼンあたりになろうが……儂にだって好みはあるのにあんまりではないか」

 アカヒゲはしばらく経って大いに笑った。
 タマモゴゼンは絶世の美人であることは認めるが、対等な恋愛が望める相手ではない。
 気持ちは判るが、あんまりだとまで言ってのけるのは面白い。本人に聞かれたらお互いただでは済まないだろう。

「同じ想いを抱くことは、容易く見えて難しいことだ。だったらもっとその一瞬を楽しむ方が建設的ではないか」
「そう、か……」

 気付くと気が楽になっていた。笑い飛ばしているうちに雑念も飛んで消えたらしい。
 独神はアカヒゲを好いている。疑う余地もない。
 いつも顔を見せるだけで破顔して名を呼ぶ。
 いつまでも一緒にいたいと駄々をこねて擦り寄ってくる。
 この幸福はしっかりと受け止めるべきだ。

「すまねえな。まさかあんたに慰められる日が来るとは思っても見なかったぜ。ありがとな」

 改めて礼を言うと、ヌラリヒョンは固辞した。

「いや。……礼というなら、いっそ其方が手放してくれても良いぞ」

 手放せと言うものは、あれに違いない。

「あんたもしかして……」
「さあて、なんのことやら」

 ヌラリヒョンは爆弾を置いて去っていった。
 不安を抱いている場合ではない。
 独神を手放す気はアカヒゲにはないのだから。

(休憩がてら顔出しに行くか……。昼は無理でも夜くらいは一緒に飯でも……)

 余談であるが、仕事第一のアカヒゲがよく顔を見せるようになったことを独神は密かに喜んでいた。





(2022/12/23)